DAIGOも台所!
27年続いた料理番組「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」の
後番組として『DAIGOも台所』が始まって1年になる。
月曜日~木曜日は辻調理師学校の先生との会話に
DAIGOの人柄が画面から伝わってくる。
娘とのエピソードや北川景子との仲良し話があり、
食べる所作に育ちの良さが表れている。
特に注目しているのは金曜日。
料理コラムニストの「山本ゆり」と「1人で料理が出来る」をテーマに、
アドバイスをもらいながら、DAIGOが挑戦している。
電子レンジを使うレシピが多く「電子レンジスト」になると宣言していた。
その中でも、ハマっているのが「豚キムチ豆腐」。
レンジ対応の容器にまず調味料を作る。
味噌、中華スープの素、ごま油、酒、水を入れよくかき混ぜる.
そこに豚バラ肉、キムチ、もやし、絹ごし豆腐を順に重ねて、
蓋を少しずらして、電子レンジで8分チンするだけ。
これで完成!
混ぜ合わせて器に盛る。熱々の出来立てが最高に美味しい。
鍋に近い感じで、食べた後、しめに、
残った汁にうどんを入れて食べる。
DAIGOにロックバンドのボーカルのイメージはどこにもない。
by石塚
庭の再生計画!
年始の目標の一つが「今年こそ我が家の庭を草ぼうぼうにしない」。
まず手をつけたのが、父が作った「緑のカーテン」用に組んだ支柱。
もう錆びついて、朽ち果てる寸前で、
使えそうもないので撤去した。
2m以上の支柱が何本もあり、これを捨てるのに、
60㎝以内に切らないと「燃えないゴミ」に出せない。
金属切断用ノコギリでカットしたが、これが大仕事で、
あっという間に、ゴミ袋いっぱいになった。
次に、前から気になっていた、南側の隅に放置された鉢植えの観葉植物。
直系尊属30㎝の植木鉢の底から根が伸び放題で、土をしっかりとつかんでいる。
木の幹は高さ3mに巨大化していた。
直径5㎝の幹を何ヶ所もノコギリで切って、小さくして、
根も土からはがして、移動させた。
「燃えるゴミ」に出すのに切り刻んで、
45ℓのゴミ袋に山盛り2杯になった。
大きな木がなくなって景色も良くなり、爽やか風が
庭に入るようになった。
庭の真ん中も草を取って、鍬せ耕して、肥料を入れ、
これから春から夏に向けて野菜を作ろうと、前向きな気持ちになった。
by石塚
桜の開花 2023!
令和5年、今年も桜が咲いた。
近所の公園、定点観測している「オオシマザクラ」が咲き始めた。
時々立ち寄るコンビニ駐車場の桜もキレイに咲いて、
より春を強く感じる光景だ。
東京では、3月14日に開花宣言があり、
年々開花が早まっている。
子供の頃は、4月の入学式に咲いていた記憶があるが、温暖化の影響なのか。
桜と言えば「ソメイヨシノ」。
日本には、ヤマザクラなど100種以上の桜が見られるが、
その80%がソメイヨシノ。
普及した理由は、木の成長が早く、10年もすれば、立派な花を咲かせる。
70年ほど前に全国的に植えられるようになり、戦後の復興の象徴だった。
しかし、寿命が60年と短く、全国各地、老木が増えている。
接ぎ木で増えるクローンなので、同じ病気に弱く、管理が大変なので切り倒され、
病気に強品種に代わりつつある。
「ソメイヨシノ」が存続の危機を迎えているのは、淋しい限りだ。
目では、キレイな桜を存分に楽しんで、口は「花より団子」で
巌邑堂の「桜餅」を食べて、春を満喫した。
by石塚
春の天竜へドライブ!
天竜に向かって車を走らせた。
最高気温が20℃を超えると、車中はエアコンが必要になる。
スタバのカフェミストをテイクアウトして、
天竜川の堤防を北上し、気持ちよく走りたかった。
しかし、今回も大きなトラックが前をゆっくりと先導してくれた。
40分ほどで秋野不矩美術館に到着。
駐車場からの坂道は、まだ花の季節には早いようで、
キレイに剪定されたアジサイの木に若葉が出始めていた。
今回は「中村正義展」。
画壇の風雲児と呼ばれ、日本画の既成概念にとらわれず、
自由、奇抜な作品が多くみられる。
気になったのが、「家」という作品。
21×25㎝と小さく、セピア色で地味だが、見入ってしまった。
二俣の街をさらに北へ。
船明ダムを左手に見ながら川沿いを走り、
オレンジ色の橋を過ぎて、カフェ「マイルストーン」に到着。
先客は男性用2人。
「多摩」ナンバーということは、東京から来たのか?
ガテマラとチーズケーキを注文し、ジャズピアノの音色をBGMに
ゆったりと過ごせた。
女性の団体客が入って来て、にぎやかな店内になった。
非日常の空間が、気持ちをリフレッシュさせてくれる。
by石塚
2023/03/10
銭湯の思い出!
映画「湯道」を観てきた。
「おくりびと」を手掛けた小山薫堂が、
雑誌「Pen」の連載企画「湯道百選」から数年を経て映画化が実現した。
お風呂にまつわる話。
どこの家にも風呂のある現代、
銭湯はなくなりつつある文化なのか?
この映画を観て、子供の頃のいろんな事を思い出した。
銭湯には、特別な思い出がある。
昭和40年代前半、小学生の頃、親戚の経営する銭湯の裏に住んでいた。
母はその銭湯を手伝っていて、午前中は掃除をして、
夕方から番台に座って、閉店の夜遅くまで働いていた。
子供だったので、まだ母が恋しく、銭湯によく遊びに行って、
番台下の小さなスペースが定位置になっていた。
タイル張りの大きな湯船、目の前にメモリのある大きな体重計、
脱衣かごがあったのを思い出す。
裏には、大きなボイラーがあり、
おが屑を燃やして燃料にして、お湯を沸かしていて、
真っ赤に燃えていた。
母の用事で、代わりに短い時間だが、何回か番台に座った事があった。
今なら嬉しい事だが、当時は同級生の女子が入って来ないか、
心配でハラハラしていた。
だが、その最悪の状況にはならなかったと記憶している。
懐かしい景色を思い出した映画だった。
by石塚
可睡斎のひな祭り 令和5年!
令和5年、弥生3月を迎えた。3月3日は桃の節句「ひな祭り」。
今年も可睡斎にひな人形を見に行ってきた。
当日は、気温は3℃かなり寒い。
袋井に向うが、平日の朝なので、見事に通勤渋滞に捕まった。
8時過ぎには、可睡斎に到着。
靴を下駄箱に預けて入ると、見学者は誰もいなくて、
時々お坊さんとすれ違うだけ。
長い廊下を歩くと、床から寒さが深々と伝わり、
より一層お寺の厳粛さを感じる。
今年は大河ドラマで家康が取り上げられた事もあり、
可睡斎と家康の関わりの展示もあった。
家康と幼い頃から縁のあった、11代目住職が殿様となった家康と
謁見したさい、居眠りをしてしまった。
それを見てにっこり微笑み「和尚、睡る可し(ねむるべし)」と申され、
いつしかお寺の名前までが「可睡」と呼ばれるようになったらしい。
大広間の32体のお雛様の前で、しばらく正座してその歴史に思いを馳せた。
帰りに東司で用を足し、その場所を見守る威圧感のある
烏枢沙摩明王像に手を合わせて帰路につく。
小さなお雛様を玄関に飾り、春を迎える準備をしよう。
by石塚
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